内田樹って知ってますか?

yokokayu2005-07-27


いや、私は知らなかったんですが。
プロフィールを読むと
現在、神戸女学院大学の文学部教授だそうです。


一昨日、うちの社長が
「これ面白いですよ」と貸してくれた本が
その内田樹氏の『街場の現代思想』という
なんだろう?カジュアルな哲学書
だったんですが。


これが、これが



面白いよ〜っっっっっっ(絶叫



文化について、「負け犬」について、お金について、社内改革(!)について、結婚について…
要するに色んなことに関して
ひとが素朴に持つ疑問に
氏が答えてくれているんですが
目からうろこが落ちっぱなしです。



たとえば
最近あんまり話題にしていなかった
会社改革について。
(会社改革のブログなのに…)


会社改革は可能でしょうか?という設問に
彼はこういいます。




何かの計画について「可能性があるか否か」が論じられるのは
「すでにその可能性がある程度まで経験的に確証された」場合に限られる。

たとえば君がプロのピアニストとしてやっていけるかどうか
という可能性について検討する場合、
少なくとも君はピアノが弾けなければいけない。
「ピアノは弾けないのですがピアニストとしてやっていけるでしょうか」
というような問いに真面目に答えてくれる人間はいない。

社内改革もそれと同じである。



君が社内改革について検討しようと言うのなら
君は既にある程度まで社内改革にコミットしていなければならない。
つまり
君は社内の少なからぬ人々からすでに
「この会社、これからどうやって変えていったらいいと思う?」
と繰り返し意見を求められているはずであるし
社内改革のための研究会なり情報交換グループがあったとすれば
すでにその主要メンバーの一人であり
ひそかに将来のリーダーの一人と目されているのでなくてはならない。



君が社内改革を果たしうる可能性は
社内改革をめざす運動が
すでに君を巻き込んで始まっている場合にしか存在しないのである。



…要は
社内改革という組織的な革命は
一人の頭の中だけでできるかできないかを
考えるものではなく
組織を巻き込んだ集団運動として
自然発生的に始まるものでなくては
成功などしない、ということでしょうか。


もっと言えば
社内改革を自ら起こそうとし、
実現にむけて引っ張っていく
「人材」の存在の有無こそが
社内改革を成功たらしめるということでしょうか。



内田氏は書いています。



転職も(この前の章が転職についてだった)社内改革についても
私が言っていることは殆ど同じである。
転職できる人間は、すでに転職している。
社内改革できる人間は、すでに改革に着手している。


意外に思われるかも知れないが「決断」というのは
私たちの前にまっさらな未来が開けているということではない。
むしろ、私たちの過去のふるまいが精算されることなのである。
これまで正しい決断を積み重ねてきた人間の前には
判断に迷う二者択一は出現しない。
逆に
これまで何度も決定的な局面で判断を誤ってきた人間の前には
決断を迫る分岐点が繰り返し訪れる。



決定的局面で「正しい判断」をする人とは
これまで常に正しい判断をしてきたひとではない。
そうではなくて
「正しい判断」をしないと生き延びられないようなリスクを最小化することに
つねに心砕いてきたひとなのである。




最近、思うのですが
「なるほどと思う」文章を
書き写すのってすごい快感があります。
これって
昔の『写経』みたいなもん?



おやつ食べなかったのは昨日だけだったわ。
最近やけに
マンゴー味のものが多いですね。
マンゴー好きな私としてはうれしい限り。